スティーブン・E・キングは、1947年米国メイン州のポートランドで、スコットランドとアイルランド人の祖先を持つ、父ドナルドと母ネリー・ルース・ピルズベリーの間の第2子として生まれる。
兄弟として兄デイヴィッド(養子)がいる。
父ドナルドは掃除機のセールスマンであったが、スティーブンキングが2歳の時に蒸発してしまう。
その後スティーブンキングの母ネリーは、祖父母の面倒を見ながら朝から深夜まで働き、兄デイヴィッドとキングの2人を育てあげることとなる。
あるインタビューにおいてスティーブンキングは父についてこう語る。
「薮蛇になりそうだから、父親の消息は調べない」。
スティーブンキングの創作活動は10歳のころより始まる。
その当時、『ファンタスティック』などのSF専門誌に投稿する。同時期、10歳の少年期にも関わらす、
殺人事件の新聞のスクラップを集めるという変わった趣味を持っていた。
1966年に高校を卒業。その後、オロノにあるメイン大学進学し、1970年に卒業する。
20歳のときに投稿した小説「鏡の床」が、『スタートリング・ミステリー・ストーリーズ』誌に掲載され
ることとなる。
また、大学2年から学内新聞の『ザ・メイン・キャンパス』のコラムを毎週書くようになる。
スティーブンキングはタビサ・スプルースと、大学時代図書館でのアルバイト中に知り合い、
1971年の1月に結婚する。
結婚してまもない頃、男性雑誌に小説を売り続ける。
この時代に書かれた短編は、『深夜勤務(Night Shift)』にその他の作品と一緒にまとめられている。
同年の秋、スティーブンキングはメイン州の公立高校ハンプデン・アカデミーで英語のクラスを
教え始める。
深夜はクリーニング屋でアルバイト。妻はダンキンドーナツで働いて家計を助けるといった生活
が続いた。
この間、トレーラーハウスでの極貧生活を送り、子どもも次々に生まれていき、精神的に
追い詰められたか定かではないが、アルコールにおぼれてしまう日々もあった。
1973年の春に、米国大手出版会社のダブルデイ社が小説『キャリー』の出版を引き受けたことで、
スティーブンキングは教職を離れ、小説家として一本立ちする決心をする。
一度は諦めた作品だが、タビサ夫人が拾い上げて執筆を強く勧めた。
母親ネリーは出版直前に癌で死亡。
『キャリー』は、1974年の春に出版され、その後映画化されヒットすることとなる。
同年の秋キングはメイン州を離れ、コロラド州ボルダーに移り住み、1年弱の滞在の間に、
コロラドを舞台とした『シャイニング』を創作する。
1975年の夏メイン州に戻り、ボルダーを舞台とした『ザ・スタンド(The Stand)』を書き上げる。
『デッド・ゾーン(The Dead Zone)』もこの時期に書かれる。
この頃にも精神的に安定しない時期があり、軽い薬物中毒となっていたが克服。
また、熱狂的なファンが邸宅に侵入した事件も起る。